雨が降ると、いつも不思議な気持ちになります。
雨が降るとわたしは傘をさします。
傘をひろげて雨粒をよけます。
ただそれだけのことです。雨が降ったら傘をさすのです。
こんなシンプルなことでしか雨は防げないのです。
たぶん五〇〇年まえ、一〇〇〇年前、二〇〇〇年まえの人たちも、雨がふったら傘を、あるいは大きな葉っぱをあたまにのせて、雨をしのいだのです。
からだが冷えたら大きな樹の木陰か、あるいは岩穴のような場所で雨をしのいだのです。
雨をしのぐ対処方法を人間はほとんど進化させていないことにびっくりしてしまうんです。
雨が降ったら傘をさす。
それ以外にどんな方法があるというんでしょうね。
傘は折りたためるように小さくなりましたけれど、軽くもなりましたけれど、傘は傘です。
傘をさすとき、人はほんとうに無力だなと思います。
雨が降ったら傘をさすしかないのだから。
こうして傘を開いてわずかな自分の空間を作り雨をよけるのです。
そのようにして人は雨と生きてきました。
雨を自在にやませることは、できません。
雨を自在に降らせることも、できません。
たかが雨ですが、されど雨です。
雨が降ったら傘をさします。
強い雨と風では傘は吹き飛ばされて役に立ちません。
そうしたら濡れながら歩くしかありません。
洪水になったら流されます。
どんどん流されます。
蟻といっしょです。
雨のまえで、人は命そのものです。
偉くもなく、賢くもなく、翻弄されて逃げ惑う小さな命です。
雨が降っています。
たくさん降っています。
すべてを押し流すように降っています。
それでも人は雨がやんだら、雨を歌い、雨に思いをたくし、雨を好きでいました。
雨を憎んだり、嫌いになったり、雨を呪ったりすることもなく、
雨が降ったら傘をさし、雨を歌って、雨に踊って、雨に感謝してきました。
雨は雨です、ただの雨です。
雨に心揺れるのは人間だけです。
雨に祈るのも、雨に願うのも人間だけです。
雨が降って傘をさすのも人間だけです。
人間以外のものたちは、濡れるだけです。
雨を雨と呼ぶのも人間だけです。
雨は雨と呼ばれることで、雨になりました。
人間は雨を創造し、雨という物語のなかで傘をさす人になりました。
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「傘をさす人」
本当にそうだなと思います
文明が開け、科学が進歩した今現在でも
人は雨が降ると傘をさす
濡れたくなければ傘をさすしかない
月にだって行ける現代でも
雨が降れば人は傘をさしている
傘がなければ濡れてしまう
人間って
思っているより大したことない
特別でもなんでもないのだなと
気付かされました
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これからはもう少し謙虚に生きて行こうかと
ちょっとだけ思いました (ちょっとだけかよ)